今回は、米国のTime誌が12月13日付で発表した論説文を取り上げます。
http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1694101,00.html文章全体の内容が分かるよう、いつものように全文の訳を示した上で、若干の解説に移りたいと思います。
ホノルルで過ごした少年時代、真珠湾(攻撃の記憶)によって、戦時中の日本による侵攻が生々しく、何度も思い起こされていた。毎月最初の就業日の午前11時45分になると、市の空襲警報機の試運転が始まる。そのときいつも、1941年12月7日に警報機が鳴り響いたときは、どんな感じだったろうと思ったものである。しかし、日系アメリカ人として、私が(真珠湾)攻撃に対して抱いていた感覚は、いつもどこか葛藤を抱えていた。
10年前、大学で日本史を学んでいたとき、この感覚がいかに複雑なものになりかねないか知った。その年、アイリス・チャンが話題作『ザ・レイプ・オブ・南京』を出版した。日本が1937年に中華民国の首都を占領したときの残忍さを描いた本である。数週間のうちに数十万人の中国人が死亡した戦時中の大量虐殺――一般に南京大虐殺と呼ばれる――について読んだ後、私は圧倒的な羞恥心に襲われた。
2007年12月13日、南京大虐殺から70周年を迎える。そして、大学時代以来、私は羞恥心から、実際に何が起こったか、詳しく知ろうと努めている。史料の解釈をめぐっては、大きな意見の相違がある。大虐殺は、中国、日本、米国、ヨーロッパ、カナダの少なくとも10本の劇映画およびドキュメンタリー映画(いくつかは現在、製作中)の題材になっている。あるもの――例えば、南京の中国人の避難所として外国人が設置した安全区を取り上げた、テッド・レオンシスの「南京」――は、占領軍により一般市民が見舞われた強姦、略奪、恣意的な処刑を衝撃的に描き出す。その対極には、日本の水島総監督による公開予定の映画「南京の真実」がある。同監督は、大虐殺を神話とし、自作によって、その真相を暴こうとしている。
真摯な歴史家は、大虐殺があったことを疑わない。しかし、細部については、大きな意見の相違が見られる。殺害された人々は、20万人か30万人か?強姦されたのは、2万人か8万人か?全貌は永遠に分からないだろう。米国ポモナ大学のサミュエル・ヤマシタ教授によると、共産主義国中国の増大する脅威に対抗すべく、米国は味方として強力な日本人の国家を必要としていた。そのため、(南京)大虐殺をはじめとする残虐行為は、戦後日本で伏せられたという。「若干の極悪人を処刑して、ほかは全部、忘れよう。」米国(正しくはカナダ)ヨーク大学のアジア近代史学者ジョシュア・フォーゲルは、(南京)大虐殺に対するアメリカの反応をそう説明する。「戦後ドイツでニュルンベルク裁判でなく、このような解決策が取られていたら、と想像してみるといい」とフォーゲルは言う。
1937年に何が起こったかという問題をめぐる疑念の種は、現代の日中間で長く続く反目へと発展している。意味のあいまいさの利用、言葉の壁、集団的記憶の違い、自国の優越を主張しようとする心情、これらを捨てれば、なぜ両国は「事実」に関して合意に達することができないか、理解することができるようになる。合意がないという、このような状態に煽動的な政治家が付け込んでいる。日本のナショナリストは、有権者が(南京)大虐殺の矮小化や否定に応じることを、知っている。声高に主張する、精力的な少数派である彼らは、ほかに靖国神社参拝のような政治問題を火種に、炎を燃え上がらせている。この神社には、南京戦を指揮した将軍がまつられている。一方、中国の指導者は、南京レイプの記憶を鮮明に保ち、共通の敵に対する怒りをかき立てて、熱烈な愛国心を呼び起こすことで、世間の注意を北京政府の欠点からそらせることができることを、知っている。いってみれば、真実が分かりにくくなっているのは、(南京)大虐殺が両国の指導者によって政治的な駆け引きの道具として利用されているためである。彼らにとっては、極端な形の歴史を語る方が有益なのである。
日中双方の専門家を巻き込んで史実を明らかにしようとする活動を通じて、いつかは和解に達する日が来るかもしれない。大虐殺70周年を記念して、日中で独自の研究会が発足した。一方、ハーヴァードが主催する日中戦争に関する共同研究は、日中および英語圏の学界に一定の貢献を果たしてきた。これら各国の学者によって、南京(事件)に対する、さまざまな見解の相違がせばめられることが、期待される。フォーゲルは次のように語る。「共同の企画によって、それぞれの側に協調心が生まれ、相手が誠実に研究していることを認めるようになるだろう。双方はまた、自分たちが確たる事実とは別のところに基づいて、結論を出しているかもしれないという事情についても、考えるだろう。」アイリス・チャンは中国人としての自らのアイデンティティを探ろうともがく中、『ザ・レイプ・オブ・南京』を書いて、真実を明らかにしようとする作業を始めたのかもしれない。私は、この困難な作業が続く中で、自分自身が受け継いだ伝統について、何か重要なことを知ることができればと願っている。
アメリカの雑誌が発表した文章ですが、筆者が日系アメリカ人ということで、南京事件を他人事とは見ていない点が特徴的です。
筆者がこの事件をはっきり意識するようになったきっかけは、10年前に『ザ・レイプ・オブ・南京』を読んだことにあるそうで、そのとき、「圧倒的な羞恥心に襲われた」と告白しています。ただし、南京事件の「細部については、大きな意見の相違が見られる」と指摘していることから、同書をはじめ特定の本の内容を「細部」に到るまで、信じているというわけではないようです。
(おそらく米国の)大学で日本史を学んだことのある筆者によれば、「真摯な歴史家は、大虐殺があったことを疑わない」そうです。実際に、その「真摯な歴史家」の例として、北米でアジア史を専攻する2人の学者の言葉が紹介されていますが、彼らの言葉に、南京事件の発生そのものを疑う様子は感じられません。
日本で南京事件の否定ないし矮小化が続く要因として、「煽動的」とか「声高に主張する、精力的な少数派」と形容される「ナショナリスト」政治家の活動が指摘されています。もっとも、その一方で、彼らによる「矮小化や否定に応じ」て、彼らに投票する「有権者」の存在も指摘されています。そのため、こうした動きは政界の外の、いわゆる大衆の間にも一定の基盤をもっていることになりそうですが、この点について掘り下げた論及は見られません。
さて、「南京の真実」への言及は短く、「大虐殺を神話とし」、「その真相を暴こうと」する映画として、テッド・レオンシス制作の「南京」と対照されています。上で見たような日本国内の状況分析に従えば、「南京の真実」はさしずめ、「声高に主張する、精力的な少数派」である「ナショナリスト」政治家と彼らを支える「有権者」の見方を代弁する映画ということになるでしょう。現に、この映画の賛同者には10数人の国会議員が名を連ねています。